私は、祈るときに舞う――祖母から受け継いだ祈願祈祷

Moiraの記憶

「祈願祈祷をするとき、何をしているのですか?」

そう聞かれたなら、答えは案外簡単です。

私は、舞います。

巫女装束を持っているわけではありません。
紗の羽織をまとい、鈴と剣を持って舞います。

鈴は、音で払う。

剣は、邪を切る。

そして何より、

常に平静であれ。

これは、代々巫女であった家系の祖母から教わったことです。

祈りは、ずっと生活の中にあった

思い返してみれば、祈ることを特別なものだと思っていなかったのかもしれません。

子どもの頃、家族で旅行へ行ったときのこと。

親たちがまだ眠っている朝に、一人で先に起きて、お札をいただきに行くことがありました。

人形流しをすることもありました。

今になって考えれば、

「旅行先で子どもが朝早く一人で何をしているのだ」

という話なのですが。

当時の私にとっては、それほど不思議なことではありませんでした。

祖母から教えられたものがあり、それをする。

ただ、それだけのことだったのでしょう。

鈴は音で払い、剣は邪を切る

現在、私が祈願祈祷をするときにも鈴と剣を使います。

鈴を鳴らす。

その音で払う。

剣を持つ。

邪を切る。

そして舞う。

言葉だけを並べれば、ずいぶんと仰々しく聞こえるかもしれません。

けれど私にとって大切なのは、道具を持つことそのものではありません。

祖母が最後に教えた、

「常に平静であれ」

ということ。

祈る側まで感情に飲まれてしまってはならない。

恐れの中で鈴を鳴らすのでもない。

怒りに任せて剣を振るうのでもない。

力を使うのなら、まず自分が平静でいる。

幼い頃に聞いた言葉ですが、今になって、その意味を以前より考えるようになりました。

力が大きくなったと感じる今だから

近年、自分の中にある力が以前より大きくなってきたと感じています。

大きければ大きいほど良い、とは私は思いません。

むしろ難しくなるのは、加減することです。

手頃な石。

最近手に入れたルーン文字の指輪。

タングステンとオパールの指輪。

そして、何十年も探して、ようやく手に入れたペンダント。

そうしたものへ、自分の力を込めることがあります。

何か特別なものに変えるためではありません。

願いを叶える道具にするためでもありません。

ただ、そこに置いておく。

どの順番で、どの程度。

自分なりに加減しながら扱います。

私自身は、加減を誤れば物が割れることもあると感じているので、なおさら慎重になります。

自分の力なのに、祖母を感じる

不思議なものです。

そこへ込めたものがあるとすれば、それは私自身の力です。

祖母の力を入れてもらったわけではありません。

それでも、ときどき祖母を感じることがあります。

鈴は、音で払う。

剣は、邪を切る。

常に平静であれ。

今の私が自分の力を扱おうとするとき、そのずっと手前には、そう教えてくれた祖母がいる。

だからなのかもしれません。

私は、自分の力が祖母から受け継がれたものなのかを証明しようとは思いません。

けれど、一つだけ確かなことがあります。

力との付き合い方を教えてくれたのは、祖母でした。

祈りは、力を見せるためのものではない

祈願祈祷という言葉から、何を思い浮かべるでしょう。

願いを叶えること。

悪いものを払うこと。

何か不思議な力を使うこと。

いろいろなイメージがあるでしょう。

私にとっての祈りは、力を誇示するためのものではありません。

だからこそ、力が大きくなったと感じる今、祖母の言葉へ戻ります。

常に平静であれ。

鈴を持つ手も。

剣を持つ手も。

そして、自分自身も。

それを忘れず、今日も私は舞います。


次回――式神とは何か

祈願祈祷や陰陽道の話をすると、ときどき出てくる言葉があります。

式神。

安倍晴明と十二天将。

四神や麒麟。

紙で作られた形代。

訓練された管狐。

そして、陰陽師の「眼」となった鳥。

けれど、有名で強大な存在の名前を知っていることと、
それを式神として使えることは同じではありません。

では、そもそも式神とは何なのか。

次は、その話をしましょう。

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