「式神」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょう。
安倍晴明。
五芒星。
十二天将。
あるいは、命令ひとつで現れて敵を倒してくれる、美しく強大な存在でしょうか。
小説や漫画、ゲームの世界では、式神はずいぶん華やかなものになりました。
私は、そういう物語も嫌いではありません。
美しいものが欲しければ、人間が作った物語にはいくらでも美しいものがあります。
けれど、今日は創作ではなく、
「そもそも式神とは何なのか」
という話をしましょう。
安倍晴明は実在した。でも、伝説の晴明とは分けて考える
まず大切なところから。
安倍晴明は、平安時代に実在した陰陽師です。
一方、現在私たちが知っている「超人的な陰陽師・安倍晴明」の姿には、後世に作られた説話や伝承が重なっています。
母親が狐だった。
烏の声を聞き、その意味を知った。
式神を自在に操った。
そうした晴明像は、長い時間をかけて物語として育ってきました。
だから私は、
史実は史実。
伝承は伝承。
創作は創作。
と分けます。
混ぜなければ、全部面白いのです。
十二天将――名前を知っていることと、使えることは違う
式神の話になると、よく名前が挙がるのが十二天将です。
騰蛇、朱雀、六合、勾陳、青龍、天一あるいは貴人、天后、太陰、玄武、太常、白虎、天空。
ここで少し考えてみましょう。
たとえば玄武。
四神として見れば、北方・水と結びつけられる存在です。
朱雀、青龍、白虎も同様に、非常に大きな象徴性を持っています。
さらに麒麟まで出してみましょうか。
麒麟は四霊の一つとして語られ、別の体系では中央に配されることもあります。
では、
名前を知っている。
姿を描ける。
意味を知っている。
だから、
「今日から私の式神です」
となるでしょうか。
そんなに簡単な話ではありません。
少なくとも私が式神を考えるとき、強大な存在ほど扱うことも難しいと考えます。
有名だから使いやすいのではない。
むしろ逆です。
式神は「戦わせるもの」とは限らない
ここで、現代の創作から少し離れてみましょう。
式神というと、
呼び出す。
命令する。
戦わせる。
そんな姿を想像しがちです。
けれど、役割は戦闘だけではありません。
伝える。
探る。
見る。
運ぶ。
守る。
あるいは、術者に代わって何らかの役割を果たす。
そう考えると、式神の姿は一つである必要もありません。
国立歴史民俗博物館には、『不動利益縁起』の図像をもとにした「陰陽師と式神・外道」の復元模型もあります。つまり、式神を伴う陰陽師のイメージそのものは、近現代のゲームだけから突然生まれたわけでもありません。
ただし、ここでも、
描かれたもの=そのまま歴史上の実践
とはしない。
見る資料が変われば、姿も変わります。
もっと簡易なものもある
強大な存在の話ばかりしていると、式神がずいぶん遠いものになります。
けれど、もっと簡易なものを依代として扱う考え方もあります。
たとえば、紙。
人の形に切られた紙を見たことがある人もいるでしょう。
ただの紙でも、何を担わせるかによって意味が変わる。
伝達。
身代わり。
呪い。
解呪。
穢れを移す形代。
ここで怖いのは、
始めることより、終わらせること。
役目を持たせたものを、いつまでもそのままにしておけばいいとは私は考えません。
きちんと戻す。
きちんと終える。
これは次の記事で、もう少し詳しくお話ししましょう。
動物が役割を担うこともある
式神や使役の伝承を見ていくと、動物も登場します。
たとえば狐。
管狐と呼ばれる存在についても、さまざまな伝承があります。
鳥も面白い存在です。
遠くへ行く。
戻ってくる。
そして、空から見る。
伝書鳩のように情報を運ぶだけではなく、
術者の「眼」になる。
戦う必要などありません。
見て、伝える。
それだけでも十分に役割を果たします。
ただし、このあたりは地域・時代・民間伝承など異なる系統の話が重なりやすいところです。
何でも「安倍晴明の式神だった」とまとめてしまうのは乱暴でしょう。
強さよりも、何をさせるのか
式神について考えるとき、
「どれが一番強い?」
という問いは、私はそれほど重要だと思っていません。
必要なのは、
何をするのか。
そして、
扱う側が、それに責任を持てるのか。
強大なものを呼べることが偉いわけでもない。
派手である必要もない。
必要な役割を、必要なところまで。
そして終わったなら、終わらせる。
祈願祈祷についてお話ししたとき、祖母から教わった言葉を書きました。
常に平静であれ。
式神の話をするときにも、私は結局そこへ戻ります。
力を持つことより、
力をどう扱うか。
そのほうが、ずっと大切なのではないでしょうか。
次回――紙一枚が怖い
次は、もっと小さなものを見てみましょう。
一枚の紙。
人の形。
形代。
人形流しにも使われるそれが、なぜ身代わりになり、なぜ穢れを託され、そしてなぜ、
「きちんと戻す」
ことが大切なのか。
私自身が子どもの頃からしてきた人形流しの記憶も交えて、お話しします。

